ラーメンとミュージカル

好きなこと書く

差別主義者に中指を立てるLily Allen「Fuck You」

差別主義者の「おれが考えたさいきょうの理屈」に付き合うのが嫌になったとき、いつも聴く曲があります。

 

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Lily Allenの「Fuck You」という曲。どストレート。Wikipediaによると、この曲はもともとブッシュ大統領に向けて作られたらしいのですが、差別する人全体にうたえる。

和訳の歌詞をネットで探したのですが、だいたいマイルドかつわざとらしい女ことばで訳されていて、パンチがなさすぎる…となりました。*1

あとなんか、この曲を北朝鮮金正恩に向けたものとして意訳したわけわからんサイトがあり、そこの訳は言葉バリ汚くていいなと思ったのですが、なんせ金正恩バージョンに歌詞を改変してるので正確性がすげえ犠牲になってる。

歌詞に忠実でありつつ、きちんと罵倒した和訳が欲しかったので、自分で訳しました(そして帰国子女の友人に訳をチェックしてもらいましたwwwありがとう)。こんなにFワードたくさん書いたの初めて

 

Look inside

Look inside your tiny mind

Now look a bit harder

'Cause we're so uninspired, so sick and tired of all the hatred you harbor

 

覗いてみなよ

自分の小さい心の中を

もうちょっとちゃんと見て

あんたが撒き散らす憎しみにもうみんなうんざりしてるしマジでうざいから

 

So you say

It's not okay to be gay

Well I think you're just evil

You're just some racist who can't tie my laces

Your point of view is medieval

 

ゲイであることは良くないことだって言うけど

単純にあんたの方が有害だと思う

間抜けな人種差別主義者

あんたの価値観は中世か

 

Fuck you

Fuck you very, very much

'Cause we hate what you do

And we hate your whole crew

So please don't stay in touch

 

くたばれ

マジでさっさとくたばれ

あんたのやることなすこと全部うざい

あんたの仲間も全員嫌い

だから連絡してこないでください

 

Fuck you

Fuck you very, very much

'Cause your words don't translate

And it's getting quite late

So please don't stay in touch

 

くたばれ

マジでくたばってください

あんたの言ってることは意味をなさないし

時代から遅れすぎ

だから連絡してくるなって、おねがい〜

 

Do you get

Do you get a little kick out of being slow-minded?

You want to be like your father

It's approval you're after

Well that's not how you find it

 

頭がそんなに鈍くて楽しいの?

自分のパパみたいになりたいんだろうけど

パパから認められたいんだろうけど

そんなことしててもパパみたいにはなれません

 

Do you

Do you really enjoy living a life that's so hateful?

'Cause there's a hole where your soul should be

You're losing control of it and it's really distasteful

 

本当に

本当にその憎しみだらけの人生が楽しいわけ?

魂があるべき場所に穴あいちゃってるし

自分の人生の主体性を失ってるよ、めっちゃキモ

  

Fuck you

Fuck you very, very much

'Cause we hate what you do

And we hate your whole crew

So please don't stay in touch

 

くたばれ

マジでさっさとくたばれ

あんたのやることなすこと全部うざい

あんたの仲間も全員嫌い

だから連絡して来ないでください

 

Fuck you

Fuck you very, very much

'Cause your words don't translate and it's getting quite late

So please don't stay in touch

 

くたばれ

マジでくたばってください

あんたの言ってることは意味をなさないし時代から遅れすぎ

だから連絡してくるなって、おねがい〜

 

Fuck you, fuck you, fuck you,

Fuck you, fuck you, fuck you,

Fuck you

 

You say, you think we need to go to war

Well you're already in one,

'Cause it's people like you

That need to get slew

No one wants your opinion

 

戦争に行く必要がある!ってあんたは言うよね

まあもう勝手に始めちゃってるんだけど

でもあんたみたいな人こそが

殺されるべきだから

誰もあんたの意見は求めてないんだよ

 

Fuck you

Fuck you very, very much

'Cause we hate what you do

And we hate your whole crew

So please don't stay in touch

 

Fuck you

Fuck you very, very much

'Cause your words don't translate and it's getting quite late

So please don't stay in touch

 

Fuck you, fuck you, fuck you

Fuck you, fuck you, fuck you

 

 

*1:まあFワードは訳が難しいし、「くたばれ」でもニュアンス弱いのですが、それにしてもf**k you very very muchを「あんたなんてくそったれよ」と訳してるサイトが多くておーんってなりました。差別に対して中指立ててる曲なのに、訳がジェンダー規範を強化してしまっている…女ことばについてはこちらを参照。http://jaits.jpn.org/home/kaishi2013/01_furukawa.pdf

肌の黒いリトルマーメイドはミスキャストか?

「Miscast」というコンサートがある。これは「ブロードウェイのスターたちが"絶対にキャスティングされることがない"役の曲を歌う」というテーマでニューヨークで毎年やっていて、ほとんどのパフォーマンス動画が公式からYouTubeに上がっている。

コメディ調のものが多く、笑いながら観てきたのだが、最近久しぶりに観返して、新しい動画も観てみて、「これは思ってた以上に面白いコンサートなんじゃないか?」と思えてきた。ので自分の考えをまとめておきたい&意見ききたい。

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公式ホームページ(https://mcctheater.org/miscast/)より

ジェンダーが合わない役を「逆に」やる

ブロードウェイでは男性の設定なら外見と声が男性とみなされる俳優が演じるし、女性の設定なら外見と声が女性とみなされる俳優が演じる。なので、Miscastでは演者が「絶対にキャスティングされない役」、つまり演者自身とは異なるジェンダーの曲を歌うことが多い。*1*2

 

誰でも知ってる曲だと、例えばFrozenのLet It Goを、男性の演者が歌ってたり。

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性別ってそんな大事じゃなくない?

Miscastの良いところは、演者が真剣な点である。「絶対にキャスティングされない役」をやるので、なんとなく面白い感じになりがちなのだが、演者がその状況に対して「俺、男なのに女の役やってるよwww」みたいに冷笑的ではなく、あくまでも真剣にその役を演じている。

Let It Goは元々がジェンダーステレオタイプから外れようとしている女性の曲なので、男性が歌うことで出る面白さみたいなのはあまりないのだが、曲の歌詞が元々の役のジェンダーステレオタイプに合致している時でも、ミスキャストで異なるジェンダーの人がその曲を完璧に歌いこなすことがある。

 

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例えばこれは、「Dream Girls」で、Effieという女性キャラクターがメインで歌う曲だ。EffieをNobert Leo Butzという役者が演じ、他のキャラクターも男女を逆にして歌っている。

この曲でのEffieは典型的な「ヒステリックな女」。自分の失敗を指摘されると過剰反応し、周りに責任を押し付ける。それを周りにいる人たちが愛想をつかす、という曲である。

 

面白いのが、歌詞や感情の高ぶり方がザ・わがままな女という感じで設計されているはずなのに、これを男性のNobertが演じてもめちゃくちゃ自然ということである。独りよがりで視野が狭くて、自分のミスを指摘されると論理をねじまげて反論しようとするおじさん、いるよね〜!

 

つまり、「ヒステリック」という言葉はほとんどの場合女性にしか使われないけど、同じ行動は男性もしているというのがあぶり出されている。まあ冷静に考えて、性格がやばいやつは性別問わずいるよね。

 

他の例としては、Chicagoというミュージカルで、殺人を犯した女性の主人公二人を救う男性弁護士が歌う曲を、Kelli O'haraが歌ったパフォーマンスがある。

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「Chicago」自体はそれぞれの理由で殺人を犯した女性たちを、(どう考えても女側が悪いだろみたいな人も含めて)ユーモアを持って描いているという点では新しいのだが、ちょっとばかで感情的な女性を知的な男性が救う、という構造はまあはいはいよくありますねと思う部分もある。

だから、その男性弁護士の曲を、女性で、普段は古典的なミュージカル作品でヒロインを演じることが多いKelli O'haraが歌っていて、しかもセクシーでかっこいいのを観ると、「なんだ、女性でもいいんじゃん」と思った。

 

男性が主体的にステレオタイプが抜け出すショーもある。一番劇的なのはこれかな。

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West Side Story」は、ニューヨークのギャング団どうしの抗争と抗争のなか引き裂かれるマリアとトニーのロミジュリ的な恋愛を描いたミュージカルだが、その中でマリアの姉的存在・アニータが、トニーはやめとけとマリアに迫る曲がある。単純にやめとけや〜というノリではなく、この直前にアニータは抗争の混乱の中で自身の恋人をトニーに殺されており、鬼気迫る表情でマリアに訴える。が、マリアは反論するという場面。

 

この感情がほとばしる曲を、MiscastではLin Manuel MirandaとRaul Esparzaという男性の役者が演じている。West Side Storyはちょっと古いミュージカルということもあり、この曲の歌詞は結構「女性的」なのだが、歌詞も、名前すら変えず歌うので、男性の役者がかなり「女性っぽい」曲を歌っているのだが、クオリティがめっちゃ高い。

 

私は男性に対する抑圧に関しては当事者ではないので、自分が経験したわけではないが、よく言われる男性に対するジェンダー規範に、「感情を抑制することを求められる」があるとよく言われますね。「泣くな男だろ」みたいな。

ミュージカルは登場人物が自分の内面を独白する曲を歌いあげる場面が大きな見せ場になることが多いので、男性が感情をあらわにする場面は普通にあるが、それでも「男らしさ」から完全に抜けきれてるわけではないと思う。

 

そうしたステレオタイプに反して、「女性的な」歌詞を感情たっぷりに歌い上げる二人を観て、最初観客は笑っている。残念だなとは思うけど、Miscastはコメディ調のものが多いので、そういう前提で観始めたとしてもまあわかる。

しかし素晴らしいのが、役者の二人があまりに真剣に演じるので、だんだん観客も真剣になるところである。マリアもアニータも、男性でもアリじゃない?とりあえずこの二人がやるんだったらめっちゃ観たいわ。という気がだんだんしてくる。してきませんか?

 

異性愛である必要もなくない?

上のWest Side Storyでもう一つ注目したいのが、名前を原曲を変えていないという点である。つまりRaul(男性)は男性のトニーに恋しているわけ。Miscastは基本的に歌詞を変えないので、ラブソングを歌う場合は結構な確率で同性愛の曲になる。

 

例えばこれ。 

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「Last Five Years」は、JamieとCathyという男女カップルの出会いから破局までを描いたミュージカルである。JamieがCathyに会ったときに、「きみは運命の女神だ!」と歌う「Shiksa Goddess」という曲を、Caisie Levy(ブロードウェイ版アナ雪でエルサを演じた人)がJamieとして歌っている。

歌詞は完全にCathyに向けたものなので、女性のCaisieが歌うことでレズビアンの曲に解釈し直されており、私はこのパフォーマンスがすごく好きだ。Caisieの歌唱が素晴らしく、対等なカップルが目の前に浮かんでくる気がする。

(ただ、これも私は当事者ではないので、異性愛者の幻想かもしれません。そうだったら差し支えなければ教えてほしい…)

 

公式では出ていないので動画は載せないが、Last Five YearsでJamieがCathyにプロポーズするときに歌う「Next Ten Minutes」という曲があり、これを男性二人で歌った動画もYouTubeに上がっていた。二人の歌唱力と表現力が流れ出ていて、本当に美しいパフォーマンスだった。しかも素晴らしいのが、Jamieのパートを歌った俳優は、ブロードウェイ公演のJamieのオリジナルキャストなのだ。本家やんけ。

 

 

という感じで、Miscastって結構面白いなと思ったわけです。

ただ、一つ言っておきたいのはMiscastは別にジェンダー規範を揺るがすことを目的としているわけではないということ。単純に楽しいコンサートが、よく見てみたら面白かった、っていう感じなので、ジェンダーとか別に関係ねえな、っていうパフォーマンスもあります。

あと、やっぱり男性への抑圧と同性カップルに関しては非当事者が勝手に喜んでるだけということもあると思うので、おかしくね?と思ったら意見くれると嬉しいです。

 

黒人のリトルマーメイド

Miscastの面白さは、ジェンダー異性愛規範から逸脱するところの他にも、単純に「この役を、自分も演じられるんだ!」と思えるところにもある。私は声楽をやっていたので今でもミュージカル曲を歌うのが好きなのですが、男性の曲はキーも低いしなんとなく自分の曲じゃない感じがすることが多い。それをMiscastで女性の役者がキーを上げて、でも歌詞は変えずに歌うことで、「なんだ、これは私の曲じゃん」と思えることがかなりある。上で出した「Shiksa Goddess」なんかまさにそう。

 

これで思い出したのが、ちょっと前に話題になった、実写版リトルマーメイドでアリエルにHalle Baileyがキャスティングされた件である。歓迎する声と同時に「アリエルは黒人じゃない!」との声もたくさんあった。

私は「アニメが発売停止になるわけでも今まで出たグッズが出荷停止になるわけでもないんだから、『私のアリエルが否定された!』という理屈は通らなくね?」と思っている。アリエルが白人であるという設定はなく、かつ白人のアリエルが好きな人が白人のアリエルを楽しむためのコンテンツはもうこの世に溢れてるんだから、他の人種のアリエルを観たい人への選択肢が増えることを「私のアリエルが否定されたアアア」と非難するのはおかしくね?

 

これに加えて思うのが、Halleがアリエルを演じることが、アフリカ系の人々に与える影響力を、過小評価してない?ということである。

例えば日本人がアメリカのアジア人が多いわけでもない地域でシンデレラを演じられるかといったら、英語のネイティヴでも演技力が十分あっても難しい(ことが多い)。それは外国人だからではなく、アジア系だから。シンデレラは肌の白いお姫様で、黄色人種ではないから。

今年行ってきたサマースクールでルームメイトだったアメリカ人の女の子は高校演劇で、ブロンドで白人だから、というだけで、オーディションもせずに「Mean Girls」のReginaに配役されたと話していた。彼女は適当だよね〜とか笑っていたけど、私はもし自分が彼女の高校にいて、Reginaをやりたいと思っても、「アジア人だから」という理由で落とされるってこと…?と思ってがっかりした。というかまず応募しないかも。アジア人だから。でも、それって思考停止に加担してない?*3

 

これは日本で育ったアジア系とされる人はいまいちピンとこないかもしれない。

ハロウィンのときに、「アジア人だから」という理由で自分は白雪姫のコスチュームは着れない、と思う人はあまりいないのではないか。高校のミュージカル部で「シンデレラ」を上演するとして、自分は「アジア人だから」シンデレラは演じられないな、とは思わないでしょう。だって周りほとんどアジア人だし。

ただ、日本国内でも見た目がアジア系じゃない人は、上のようなことを考えたことがあるかもしれないし、日本国外でこういう思いをしている人はたくさんいる。

 

つまり、実写化映画で肌の黒いHalleがアリエルを演じるということは、「プリンセス=白人じゃないよ」「プリンセスになれるかどうか決めるのは人種じゃないよ」*4というメッセージを社会に与えるということだ。

プリンセスの王国の場所が白人しかいない場所に指定されていたり、プリンセスが実は植民地支配にめっちゃノリノリで奴隷をこきつかっていたみたいな設定なら別だが、そうでない限りプリンセスが白人だと決めつけるのは正当性はない。

個人が抱くイメージに正当性は必要ないけれど、その正当性のないイメージを社会にこれからも根付かせていこうと行動するのは私は嫌。私も思い入れのある作品がリメイクされて、キャスティングに納得がいかないことはこれからあると思うけど、きちんと全体像を見た上で意見を持ちたいと思いました。

*1:ちなみにジェンダー以外に、人種が違う役をやる場合はないのか?ということに関しては、人種に関しては(少なくともYouTubeに載っている動画を観る限り)なくはないけど少ないという感じ…。多分ジェンダーに比べ、人種によって曲調や歌詞の感じがガッツリ変わるということが少ないので、あまり選ばれないのではと予想します。

*2:性自認と生物学的性が一致するのが当たり前という前提で書きたくなかったので、見た目と声が男性、女性とみなされる、と書いたが(良い表現方法があったら教えてください)、トランスジェンダーのキャスティングについては色々な面でブロードウェイは進んでいないと思う。まずトランスジェンダーの役がKinky Bootsのようにジェンダーセクシャリティがテーマのミュージカル以外ではあまり見かけないし、トランスジェンダーの俳優をシスジェンダーの役に起用するということもあまりない…気がする。全演目の全キャストを追っている訳ではないので間違っているかもしれない。でも「Trans performers are finally making it to Broadway」という記事が去年出ていること自体が、トランスジェンダーがブロードウェイで排除されていることを示していると思います。

*3:厳密にいうと、Regina Gerogeのような学園を支配しているクソ意地悪な美女がいるとしたら、現状では白人であることが多いと思う。なぜなら黒人やアジア人の美しさに比べて、白人の美しさは他の人種の人にも認められやすいからである。ただ、配役を現状に沿わせることで現状を肯定していいのかどうかは別の話であり、少なくとも「白人でブロンドだからReginaね」と口にして実行するのは差別だと思う

*4:人種ではなく顔です。みたいなね。レイシズムが緩和するとルッキズムが見えてくる、って面白いですね

Treat Nazis Like You Treat Women

ちょっと前にYouTubeスタンダップコメディを観ていた時に、「Treat Nazis Like You Treat Women」という題されたショーの動画が出てきた。女性を扱うようにナチスを扱えってどういうこと?と思ってクリックして観たら、

今まで観たコメディの中で一番好き…

となったので、備忘録的な感じでブログに書いておきます。

 

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What a weird time we’re living in. I just hope all the Trump stuff doesn’t make it even harder in the future for men to become president.

なんて変な時代に私たちは生きているんだろう。私はただ、トランプのやらかすあれこれのせいで、男の人が大統領になるのがさらに難しくならないことを願ってる。 

 この最初の10秒で、心つかまれてしまった。

「トランプのやらかすあれこれのせいで、男の人が大統領になるのがこれ以上難しくならないことを願ってる。」って、普通に考えてそんなことありえない。そもそも今までの大統領全員男やん、というのに加えて、トランプがやることがいくらおかしいとしても、誰もそれをトランプは男性だからおかしいからとか、やっぱり男性は大統領には向いていないんだとか思わない。

 

でも、もしトランプが女性だったら?

 

「トランプのやらかすあれこれのせいで、女の人が大統領になるのがさらに難しくなる」

しっくりくるよね。

大きな権力を持つポストにおいて、男性が失敗した時は、「男性だから」失敗したと言われることはほとんどない。しかし反対に、女性が失敗すると「女性だから」失敗したのだとよく言われる。

 

この不当な非対称性があるから、「私はただ、トランプのやらかすあれこれのせいで、男の人が大統領になるのがこれ以上難しくならないことを願ってる」が皮肉になる。

でもここら辺を詳しく説明せず、2文でほのめかす。マジかっこよくね??

 

Aww, poor men. You guys have a rough couple of weeks.

かわいそうな男性たち。今は大変な時だよね。 

 

ここから話はMe Too運動に。 

A lot of my male friends are really nervous in this me too moments so they’re asking me for advice and and I tell them if you’re around a woman and she makes you feel nervous, just picture her clothes. Think of her as your daughter, or better yet, a person.

私の男友達の多くが、Me Too運動の中ですごく緊張して、私にアドバイスを求めてくる。だから私は、「もし女性があなたの周りにいて、あなたが(何か責められることをしてしまうんじゃないかと)緊張するんだったら、彼女の服を想像するといい。彼女をあなたの娘と考えて。もっといい方法としては、彼女を人間だと考えて。」

「彼女の服を想像するといい 」ってこれも何かおかしい。だって大体の場合、特にMe Too運動で吊し上げられるんじゃないかと男性が危惧するような場面では、女性は服を着ているだろうから。

これはつまり、Me Too運動で非難される人、つまりセクハラをする人は、

女性が服を着ている(=目の前にいる男性と性的な関係ではないし、そもそも求めてもいない)にも関わらず、

女性が裸だと思っている(=目の前にいる女性を性的に見てしかもそれを行動に移す)のだ、

ということを言っている(と思う)。

  

「彼女をあなたの娘と考えて。もっといい方法としては、彼女を人間だと考えて。」

というのも、よく言われることだけど、「もっといい方法としては」というのがミソである。

 

女性を自分の娘と仮定して、「娘にそういうことするか?」と考えて、ハラスメントをやめるというのは、簡単だけど結局何も変わってないんだよね。

女性を自分の娘」に置き換えてハラスメントをやめるというのは、それはつまり女性を自分の保護下に置いて、庇護するということであり、女性を対等な存在と思うからハラスメントをしないということとは別物だからだ。

上野先生が東大の祝辞で「『かわいい』とはどんな価値でしょうか?愛される、選ばれる、守ってもらえる価値には、相手を絶対におびやかさないという保証が含まれています。」と言っていたのにちょっとかぶるところがある。

 

まあそれでもハラスメントされるよりはマシなのと、差別思想に浸かってきた人に「同じ人間だと思う」ことは難しいので、「自分の娘」だと思って、というレトリックが使われる。でも別にそれは問題の解決には全然なっていない。(ていうかセクハラしてくる人が、私のことを「自分の娘」と思った結果セクハラをやめたとしても、それもまた無理じゃない?私あなたなんかの娘じゃないんですけどという感じである)

 

服を想像するというのも人間として扱うというのも、人と接する上で当たり前のことで、アドバイスというまでもないから笑いが起きるわけだが、

セクハラで訴えられるのを避けたいならその人として当たり前のことをやりましょう

ということを言っている。

 

Jenaはここから「みんなにとって大変な時代だ」と言いつつ、

Well, except Nazis.

ナチス以外。

と続ける。

 

They’re having a great year. They’re getting a glossy write-ups in the line of New York Times, polling well with Republicans, really just killing it.

彼らはすごく良い1年を過ごしている。ニューヨークタイムズで大きな見出しで報道されたり、共和党員と協力したり、マジでよくやってる。

この場合Nazisというのは、基本的にヒトラーの時代のナチスというよりも、大戦後にナチスの復興を叫ぶネオナチのことを指している。

現代のアメリカではネオナチの拡大が心配されていて、特にトランプ大統領の排外的・差別的発言はネオナチの活動を活性化させているとされて批判されている。最近は白人至上主義者による銃乱射事件も多発しており、(ネオナチと白人至上主義は違うものだけど一つの人種を優遇するという点で思想が似ているので)ネオナチとひっくるめて大きな問題となっている。

そんな感じの文脈で出てきた流れ。

共和党員と協力したり、っていうのは共和党員全員がネオナチと直接的に協力しているというよりも、保守派の政治家とネオナチの思想的親和性を言っているんだと思います。(もしかしたら直接的な協力をほのめかしてるのかもしれないけど、ここはよくわからない。)

 

これらのネオナチに、アメリカはどう立ち向かっていくべきなのだろうか?

Our country is divided now about what to do with this new strain of American taking Nazis. Do we punch them? Do we not punch them? So what do we do?

私たちの国は、ネオナチにどう対処するかで意見が分かれていると思う。彼らを殴るべきなのか?殴らない方がいいのか?どうしたらいいのか?

 

Here’s my advice. If you see Nazis on the streets, don’t punch him. But maybe…lightly harass him. Catcall him. Tell him to smile. If any Nazis  works for you, pay them less. Take credit for their ideas.

もしネオナチを道端で見かけても、殴るべきではない。けど代わりに、軽くハラスメントすると良いかも。キャットコールとか。愛想よくしろとか。もしネオナチがあなたの元で働いたら、給料を少なく払おう。彼らのアイディアを横取りしよう。

これらは確かに、人の希望をくじき、権力から遠ざけるのに有効な手段だ。単純に不当な扱いを受けるだけでなく、それに声を上げようとすると非難を受けたり、給与や名誉が剥奪されるんだから、声を上げる気力もなくなるって想像できる。

 

ただ、ここで「ん?」となったのではないだろうか。

これ、女性がされてることじゃない?

 

You guys see where this is going. If we in America treat Nazis the way we treat women, at the very least, they will never become president.

この話がどこに行っているかわかるよね。私たちは女性を扱うようにネオナチを扱えばいい。そうしたら彼らは少なくとも、大統領にはならないから。

 

 

BURRRRRRN!!!!!!!!!!!!!!

 

 

英語で議論してるとき自分がバカになった気がする

サマースクールに来ていて、2ヶ月くらいボストンにいます。久しぶりに全ての授業が英語という環境になって、思ったことを書いていきたい。

 

まず今回のサマースクールで毎日思っているのは、「英語と日本語で思考力が全然違う」ということ。

政治の授業を取っているので毎回議論が盛んに行われるのですが、日本語での議論に比べて頭が回らないと思うことがすごくよくある。

 

バークレーでも同じことを思っていたんだけど、あの時は今に比べてリスニング力がめちゃ低かったので、議論についていけない理由として単純に私が周りの言っていることが聞き取れないというのが大きかった。

ただ、今回アメリカに戻ってみて(私は日本に帰ってから死ぬほどNetflixスタンダップコメディを観た結果、帰ってからの方がリスニング力が向上した)、周りの言っていることはわかるし言いたいことも言えるんだけど、

なんというか、日本語で議論している時の、頭がギュンギュン動いていろんなことが出てきてそれを統合して自分の意見として口に出す感覚がない。周りの言っていることはわかる分、純粋に思考力が落ちているというのがわかりやすい。頭の10分の1くらいしか動かせない感じ。あとはサマースクールに来る直前まで東大で日本語で議論していたり、こちらに来てからも東大の課題をちょくちょくやっているので、落差を感じやすいというのもあると思う。

 

東大やバークレーで出会ったバイリンガルの子たちの多くが、同じことを言っていた。私よりずっと両言語を流暢に使いこなす子であっても、日本語だと頭が回らなくて授業で意見を聞かれてもパッと答えられないとか、本がさっと読めないとか言っていたのを思い出す。

(これは単純に母語が何語とかではなくて、母語は日本語で小学校はアメリカ・中高は日本の学校で、英語の方が楽という子もいれば、ほぼ同じ環境で育ってきてるけど日本語の方が楽という子もいて、人によって全然違う!言語っておもしろ!と思った記憶がある。あとは日本語と英語で別に変わらんよという子ももちろんいる)

 

自分の経験で一つ面白いと思うのは、議論の内容によって英語と日本語での落差が違う気がすることだ。

今はPolitical CommunicationとPolitical Economy of Russia and Chinaという授業を取っていて、前者は理論の話が多めで、後者はロシアと中国の今を語るって感じでかなり具体的である。

前者の方が内容が抽象的だからか、英語で議論するのが難しいと感じる。考えてるうちに何考えてたかわからなくなる。この前ファイナルペーパーのアウトライン作成の考えがまとまらなくて、ふとメモを全部日本語に訳して考えてみたら20分でカタがついて笑った…

一方後者は、予備知識があるというのもあるが、実際に起きていることをデータに基づいて話すので頭の中のみでやらなきゃいけない作業が少なくて、日本語と英語での差は前者に比べて断然小さいと感じる。

だから外国語で哲学専攻してる人とかマジですごいと思うんだよな…尊敬…。

 

こんなことを考えていて、ふと「英語だと思考力落ちる現象について書いてある論文見たことあるな…?」と思って記憶を辿ったら、東大教授の高野陽太郎先生が研究されていた。

高野先生の研究の一つに日本人論批判があり、私は初ゼミ(懐かしい)で日本人論をテーマにした関係で高野先生のホームページをのぞいたことがあり、その時に「外国語副作用」というものについても高野先生が研究されていることを知ったのだった。

 

今回思い出してまたホームページを見てみた。

元の論文は英語だけど、研究の概要は先生のホームページに日本語で書いてあるし、現代ビジネスでも記事を書かれている。

英語を使うとき、あなたは頭が悪くなる〜「外国語副作用」という難題(高野 陽太郎) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)

 

「頭が悪くなる」っていう表現、ぴったりだな〜

母語ではない言語を使っている時は、母語を使っている時に比べて思考力が低下するのはマジだよというのが実験で示されていて、それを説明する理論も提示されているんだけど、この理論が私的にはめちゃめちゃ納得がいった。面白いので是非読んでみてください。

 

ただ、今回アメリカに来てみて一番驚きだったのは、英語だと議論でキレキレになれない自分を責めなくなったことかもしれない。

私はやりたい仕事的に将来英語が絶対必要になる&のにネイティヴじゃない というので、英語コンプレックスがずっとあって、バークレー留学中の最初のセメスターは英語がネイティヴ並みに話せない自分を責め続けるなど本当に不毛なことをしていたのですが、

musicallyrics.hatenablog.com

今回のサマースクールでは、英語だと思考力が落ちることを自覚し努力を誓いつつも、そこで自分の日本人性を攻撃したり、自分が過去に受けた教育を悔やんだりしなくなったのが割と自分的には驚きだった。

 

バークレーで大体の悩みは悩みきったのもあるし、後期教養に入ってから東大の日本語での授業がめっちゃ面白いのもあるし、私の学科は英語より中国語の方が話せますみたいな人が学生でも教授でも多いので日本語と英語の二元論で考えなくなったのもあるし、あとはバークレーの1学期目を思い出せば英語力は泣けるほど進歩しているというのもある。

 

何はともあれ、「英語だと思考力が落ちてくやしいから勉強は続けるけど、まあこの教室にいるアメリカ人誰も日本語で議論できないしむしろ私の悩みムッチャ高度じゃね」くらいのスタンスになれたのは私的には大きな進歩だ。

 

英語しんどい問題はずっと日本で教育を受けてきた人が大学とかで長期留学するとだいたいぶち当たると思います。

これから留学する友達や後輩に相談されることが増えてきたので書いておくけど、(留学中のブログにも書いたけど)努力と思考を続ければ語学力は絶対上がるし、コンプレックスを打開する道も見つかるから大丈夫です。

ただ、そこで鬱になったり自分のアイデンティティを否定し始めると努力も思考もできなくなるので、自分自身を定期的に救ってあげるのは忘れないようにした方がよい。

(私は今日、議論でうまく発言がまとまらなくて悲しくて全ての英語が嫌になりそうだったので、寮に帰って2時間中国語の映画を観て今は日本語で文章を書いています。これをやっても1ミリも英語力向上には繋がらないけど、自分の精神衛生は何よりも大事にすべきなのでいい)

Crazy Rich Asiansとスタンダップコメディ

Crazy Rich AsiansをNetflixでやっと観ました。

www.netflix.com

いろんな人に絶対好きだよと言われてたんだけど、なんやかんやでブームの時は見逃してました。

それで今回Netflixに追加されたので観たのだけれど、色んな人が言っていた通り、アメリカでのアジア系のステレオタイプを金と知性と勢いでドーンと爆破する感じでよかった。

 

色々感想はあるのですが、all-Asian castとかアジア人差別とかは他の人がほとんど言ってくれているような気がするので、

www.moyacinema.com

cinemandrake.com

私はこの映画に出ていた2人のスタンダップコメディアンについて書きます。

 

スタンダップコメディとは?

最近日本の芸人さんでスタンダップコメディがやりたいと言って渡米する人が何人かいるので、スタンダップコメディの名前は知っている人は多いかもしれません。

日本スタンダップコメディ協会によると、

スタンダップコメディとは、演者が一人でマイク一本でステージに立ち、客席に向かってしゃべりかけるスタイルの話芸。笑いの中に社会風刺や皮肉などを織り交ぜながら、様々な事象について語る。欧米やアフリカなど世界中でコメディの主力となっている。

 (引用:https://standupcomedy-japan.com/

ダークな漫談と言うとわかりやすいかも。漫才やコントとは違って、基本的に1人でマイク一本で喋って笑いをとります。

上の説明にもある通り、社会風刺や皮肉も日本の感覚で言うとかなりきついです。政治や人種差別、ジェンダーは当たり前で、植民地支配の話までぶっこむ人もいます。

 

私はこのダークさが本当に好きで、YouTubeでずっとショーを観ている…。そのよく観ているコメディアンのうちの2人が、今回Crazy Rich Asiansに出ていてしかもメッチャ面白かったので、この2人について書きたいなあと思ったわけです。

このクレイジーな男たちを覚えているか?

その2人というのが、↓のサムネに映ってる2人。

www.youtube.com

左は役名Bernerd。この動画の通り、海の上で意味わかんないでかくてアホなパーティーをしてた成金です。

右は役名Eddieで、Nickのいとこ。家族写真をひたすら撮らせてて、それが載るのがアメリカではなく香港のVOGUEだと知って怒っていた人www

Bernerdを演じたのは香港出身のJimmy O. Yang、

Eddieを演じたのは中国系マレーシア人のRonny Chieng。

アメリカなどで(めちゃめちゃ)活躍しているスタンダップコメディアンたちです。 

Jimmy O. Yang

Jimmy O. YangははじめNick役のオーディションを受けようとしたらしいのですが、マネージャーに「なんて言ったらいいかわからないけど…プロダクション側はNickのキャストとしては見た目の良い俳優を探してるんだよね…」と言われて諦めた、とインタビューで言っていてめちゃくちゃウケを取っていました。

彼に限らず、スタンダップコメディアンは自分の人種や生まれや英語のアクセント、体型、ジェンダーなどに付随するステレオタイプや不平等を、逆手にとって笑い飛ばすっていうことをよくやるんですよね。私はこれがめちゃめちゃ好きなんです。

 

アメリカにおけるアジア系のイメージとは、「親が厳しくて教育熱心」「数学ができる」「英語にアクセントがある」「運転が下手」などがあり、アジア系のスタンダップコメディアンはここら辺をよくネタにしています。

(数学ができるっていうのは日本とアメリカの教育と比較すればまあわからなくもないが、運転が下手っていうステレオタイプは何がどうなってそうなった感がある)

 

Jimmyは両親が「厳しくて教育熱心」というステレオタイプにまんま当てはまるらしく、自身のショーなどでそれに関してよく話しています。

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I grew up low self-esteem because I was raised by Asian parents. Old Asian people, they are like very honest and they think they're helping you by pointing everything what's wrong with you. I go on my mom's house she says like this with a smile on her face like "Jimmy, why is your face so fat? And your clothes make you look like homeless."

(自分は自尊心が低い、なぜなら欠点をすぐ指摘するアジア人の親に育てられたから。母親は自分に「Jimmy、なんでそんなに顔が丸いの?あとその服だとホームレスみたいに見えるよ」と言ってくる)

 

これ結構リアルじゃないですか?私の母親は私の服について昔よく文句言ってたし、親に「あんた太ったね」と言われたという友達はよく聞きました。特に中高生の頃。

だけどこのショーがめっちゃウケているように、この子供の欠点を正直すぎるくらい本人に言う、というのはアメリカではアジア人家庭の特徴だと思われているらしく。まあ確かにドラマで観た中では白人家庭の母親でこういうこと言う人はあまり見ない気がする…

 

このほかにも「アジア系の親は子供が高学歴の職(医者とか弁護士とか)以外に就くのは認めない」というイメージがあり、これまたそのイメージにぴったり合うお父さんを持つJimmyは、スタンダップコメディアンという自分の職が未だにお父さんに認められていない話をよくしています。

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My dad always said like "Pursing your dreams is how you become homeless"

(父はいつも「自分の夢を追いかけるとホームレスになる」と言っていた)

🤣🤣🤣 

 

最初「アジア系の親は子供が高学歴の職(医者とか弁護士とか)以外に就くのは認めない」というステレオタイプを聞いたとき、私は結構驚いたんですよね。そりゃそういう親はいるだろうけど、そうじゃない親もいる。それって人種によって規定されえなくね?みたいな。

が、少し考えてそれは私がアジアの国でアジア人に囲まれて育ったからだと気づきました。アメリカにおいてアジア人は、移民1世や2世、3世あたりが多いわけです。アジア人に対する露骨な職業差別があったのもそんなに昔の話ではありません。

移民としてアメリカで自分の生活基盤を1から作り上げたり、人種差別によって職業が制限された両親が、子供にはきちんとした教育を受けさせて社会的地位の高い職に就かせることで、子供の人生の質を保障しようとする、というのはなんとなくわかる話だなと思いました。

 

まあそれも全員ではないわけで、「アジア人=子供が高学歴の職以外に就くのを認めない」とイコールで結んでしまうと、それは偏見・ステレオタイプになる。

次で書くRonnyはこれについてジョークを言っていて、スタンダップコメディは同じマイノリティグループでも、ステレオタイプに対する反応が一様でないし、むしろどんどんアップデートされていくのが観ててめっちゃ楽しいです。

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(英語字幕出ます)

 

Ronny Chieng

家族写真をひたすら撮らせるNickのいとこ・Eddieを演じたRonny Chieng。アメリカの大人気のトークショーThe Daily Show」にも出演しています。

 

彼は中国系マレーシア人で、シンガポールで育ち、オーストラリアに10年間住んだあと、今はアメリカで活動しているというコメディアンです。

つまり彼は、アメリカでは完全に外国人なんですよね。なので(Jimmy以上に)アジア系アメリカ人というよりアジア人側の視点に立ったショーが多くて、私は笑いつつも「ああ〜〜!」となる点が多くてとてもおもしろい。

 

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I don't know what it is like to be a minority Asian because I came from Asia. All Asians over there. I encountered Asian stereotypes for the first time when I moved to America. No idea why people were saying shit about us. No idea you guys are talking shit behind our backs.

Like all Asian people are good at math? I didn't know that. In Asia we all are good at math. I didn't know that was a skill-set. I didn't know square rooting 7 was difficult. I just did it. …Did it again in my head. For fun.

アメリカに来るまで、アジア系のステレオタイプというものを知らなかった。アジアにはアジア人しかいないから。

例えばアジア人は数学が得意?知らなかった。アジアではみんな数学が得意だから。数学をやるのに特別な才能が必要だなんて知らなかった。7の平方根を出すのが難しいなんて知らなかった。(指を鳴らす)今頭の中でやった。(また指を鳴らす)また頭の中でやったけど。)

どこから冗談でどこから本気なのかわからないのがウケるけど、「I don't know what it is like to be a minority Asian because I came from Asia」というのはアジアで育ったアジア人あるあるなのではないでしょうか。Crazy Rich Asiansの邦題が「クレイジーリッチ」なのもわかるよね。アメリカでは「Asians」こそが大事なのですが、アジアでは「アジア人ということで軽視され、ステレオタイプを押し付けられる」体験が理解しにくいのです。私は理解しにくいという感覚はわかるけど、Asiansを削るのはあまりにも映画の意義を踏みにじっていると思うので批判派ですが。

 

ここまで人種差別に関するショーばかり取り上げてきましたが、全てがそうなわけではありません。例えばこれは、みんなで食事に行こうと言った時に「I'm okay with anything (なんでもいいよ)」と言う人がムカつくという話ww

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I'm okay with anything. Anything. ANYTHING?! Diarrhea. Are you okay with diarrhea? No? Okay you're not okay with diarrhea. Genocide? No, so there're two things you're not okay with right there.

(diarrhea = 下痢、genocide = 大量虐殺)

めちゃウケるけどめちゃくちゃわかる。みんなで集まろ〜!旅行行こ〜!ご飯いこ〜!とか言うくせに何もしないやつまじでうざいよな!!!みんなでご飯行こって言うからライングループ作ったのに、どこ行きたい的なこと言うと特に意見を出さないやつ、もうバイバイってなるよね。私はそれがいやで大人数で遊ぼうと言うのは自分が全てアレンジしても良いと思える集団の時しか言わなくなった。そして友達が減った 

 

こんな感じで、Crazy Rich Asiansに特にクレイジーな役で出演していた2人はまじのコメディアンたちなんです。私はすごい好き!

 

映画「后来的我们(Us and Them)」感想

中国語の勉強のモチベーションを探そうとNetflixで映画を探していたら、「后来的我们(Us and Them)」を見つけた。

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地方から北京に引っ越してきた若い男女が、電車の中で出会って色々あった後付き合い、また色々あって別れる。そして出会ってから10年後、北京行きの飛行機の中で再会して当時の思い出を語る、というストーリー。

 

ストーリーラインだけ見ればふつ〜〜〜のよくある話だし、私もぶっちゃけこれがNetflix上の数少ない中国映画の一つでなかったら観てなかったと思うんだけど、

なぜかこの映画にもうどハマりして、自分でもこの映画の何がこんなに刺さるのかわからないまま3週間くらい毎日観ていた。

 

ただ、この前友達にこの映画のストーリーを説明している時に

「あ、この映画の私にとっての軸はここだ」

と閃いたので、忘れないうちに書き残しておきたい。

 

※むちゃくちゃネタバレするので嫌な人はここから見ないでください。

 

自分は何をやりたいのかをどこまで捉えるか? 

この映画の主人公・方小晓と林見清は、2人とも地方から出てきて北京で成功しようともがいている。

小晓にとっての成功とは、北京で金持ちの男をつかまえて結婚すること。それを目指して色々な男と付き合うんだけど、結局うまく行かずに見清の家に転がり込み、見清と付き合い始める。

見清はゲームクリエイターになりたくて北京に出てきたが、なかなかうまくいかない。

 

見清は小晓のことがほんとうに好きで、小晓と見清の生活は貧しいけれども幸せそう。だが、見清は成功できない自分を認められない。
正月に小晓と一緒に実家に帰省した際に、見清はゲームクリエイターとして成功していると嘘をつき、地元の友達に高い夕食を奢るけれども、その嘘がバレていることを友人の陰口を聞いて知ってしまう。

 

見清は自分への怒りやら焦りやらで、自分の父親や小晓とだんだんうまく行かなくなる。小晓を無視するようになり、結局小晓は家を出てしまう。

が、小晓が出て行ったことでハッパをかけられたのか、見清はゲーム製作に取り組み、見事ヒット作を出し、お金を稼ぎ始める。見清は小晓のために家を買い、次の正月は一緒に実家に帰ってくれないかと頼む。

 

しかし、小晓と一緒に帰った先の実家で、小さい料理店を営む父親に見清は、ボロい料理店を畳んで彼と一緒に北京に住むように言うが、父親は見清が「ボロい」と形容したことに怒って拒否する。

見清は翌朝、小晓に彼に二度目のチャンスを与えるように頼む。今はお金も稼いでいるし、大きな家を買うこともできると。しかし小晓は、私があなたと一緒にいたのはあなたが好きだからで、あなたが家を買ってくれるからではない。あなたは私を理解していなかったし、これからもすることはないと言って去る。

 

で2人はほんとうに別れてしまい、見清は別の女性として結婚して子供もいるのだけれど、2人は出会ってから10年後、北京行きの飛行機の中で再会して、当時の思い出を語り合う、

 

というあらすじ。

 

 

私はこの、2人が別れた理由がすごく胸にきてしまった。

小晓は北京で良い男をつかまえて〜と適当なことを言っているように見えるしまあ実際行動はかなり適当なんだけど、

それでも「自分は何が欲しいのか?何がしたいのか?」ということを意識している。考えて考えて突きとめて、というよりは感覚的に掴んでいるように見えるけど、まあどちらにしても行動の軸は「自分が」何がほしいかだ。

 

一方見清はそれがわからない。もちろんゲームクリエイターになってお金を稼ぎたいくらいは考えているけれど、結局他人や社会からの評価にかなり左右されている。

北京で成功してお金を稼いで結婚して家庭を持ちたい、でもそれはなんで?なんで成功したい?なんでお金を稼ぎたい?なんで結婚したい?なんで家庭を持ちたい?それは本当にあなたが欲しいものなのか?それとも周りが欲しいものなのか?

これは思考力が弱いというわけではなく、社会の価値観を疑問視する機会がそれまであまりなかったからだと思う。

ただ、自分がいまいち周りの圧力や社会の価値観から抜け出せないからこそ、抜け出して自由であるように見える小晓にものすごく惹かれたのだろうけど、

結局この違いに小晓は絶望して別れたんだと思うんだよね。

 

見清にとってトリッキーだったのが、小晓の「自分は何がほしいのか?何がしたいのか?」というのは、その時々によって変わりうるということだ。

小晓はほしいものを捉える主体があくまでも自分なので、その時々に体験することや感情によって欲しいものは変わる。そしてその欲しいものを得ようとする。最初は北京でお金持ちと結婚して大きな家に住むことが彼女の欲しいものだけど、それは見清と付き合っていくうちに変わって、大きな家などなくても、見清と一緒に幸せに暮らすことが自分の幸せだ、となる。

けど、見清はそれがわからない。小晓は口では家なんかなくてもいいよと言っているけど、実は小晓も結局大きな家やお金が欲しいんじゃないかとずっと思っているから、溝が埋まらない。

これは、彼自身が結局大きな家やお金が欲しい人だからそちらの方が理解しやすいというのもあるだろうけど、一番は「彼の欲しいものは社会の価値観によってかなり固定されているので、小晓の欲しいものの流動性に追いつけない」ことが大きいんじゃないかなと思う。

小晓が欲しいものを主体的に捉える人間だとしても、その欲しいものがずっと「成功した男とお金」で変わらないとしたら、見清と考え方が違ってもその矛盾は表面化しなかったと思うのだ。まあその場合そもそも見清とは付き合ってない気がするけど。

 

2人が昔を思い出して語り合ってるところで、ここで君がこうすれば僕らは別れなかったんじゃない?って言い合うシーンがあるんだけど、何をしようと結局2人は別れてたと思うんだよな。

なぜならこの「自分が欲しいものは何かをどこまで捉えるか?」ってつまり、自分の人生をどれだけ主体的に選択するかということで、これは恋愛だけじゃなくて人生における決断一つ一つにつきまとうから。そこが一致しない限り、結局どこかで小晓は見清を振ってたと思う。

 

幸せなのはどちらか?

この映画でああめっちゃ現実的だなと思ったのが、結局北京で「成功」したのは見清だというところだ。
見清は妻も子供もいる。子供をかわいがってるシーンがある。妻は雪で電車が泊まって帰ってこない見清を責めてずっと私が子供の面倒を見ていると文句を言うんだけど、それも含めて「普通」とされる家庭を見清は手に入れたのだ、という描き方をされている。

一方小晓は最後のシーンで北京から地元に帰るシーンが映し出される。小晓は北京で「成功」することはできなかった。結婚もしていないし、帰りの飛行機で見清はビジネスクラスだけど、小晓はエコノミー。

考えてみれば当たり前で、北京での普通の幸せを手に入れるには、普通の価値観に沿って生きていくのが一番近道に決まっている。

小晓も見清を振らなければ、成功した夫と子供と大きな家が手に入ったわけで。ここで小晓が超優秀で強い女という設定だったら、自分で稼いで富を手にするか、北京すら飛び出して世界で活躍してますっていうラストもありうると思うけど、小晓はそういうキャラクターではない。自分の欲しいものはわかってるけど、それに最短距離で到達する道を考えて実行するタイプではなかった。

 

この映画では基本的に、見清が小晓を好きで諦められなくて、という描写が反対よりも多いんだけど、だからといって小晓が何でも手に入れたわけではない、というストーリーはすごく現実的で好きだ。

 

でも、だからと言って小晓は不幸せで、見清は幸せなのかな?

それか反対に、見清は不幸せで小晓は幸せなのだろうか。

 

これは本当に想像に過ぎないけど、たぶんどっちもそこそこに幸せでそこそこに不幸せなんだと思う。

 見清は小晓をずっと忘れられないみたいだけど、妻とは(不満はあるにせよ)一緒に生きていくつもりだろうし、子供はほんとにかわいいみたい。時々小晓のことを思い出すだろうけど、みんなそうするように、痛みを抱えながら幸せになるんだと思う。

 一方小晓も、北京で成功はできなかったけど、彼女が地元に帰るということは彼女なりにやりきったと感じたから帰るんだと思う。

自分がやりたいことをやるって言うほど簡単じゃない。周りの人が欲しいものと自分のやりたいことが一致してるならいいけど、そうじゃなくなったとき、何を切り捨てるか?という選択になるからだ。

自分のことをすごく好きな見清を捨てるのって、彼女自身もすごく傷ついたと思う。けど、そこで自分の生きたい人生を選んだ小晓だから、地元に帰ったのも納得した上での選択だったんじゃないか。時々北京での夢を諦めた挫折感を感じながらも、そこそこ幸せに生きていく気がする。これは私がただ信じたいだけかもしれないけど…

 

男の人は見清みたいになりやすい?

これを話した友達が「男の人は見清みたいになりやすいんじゃない?」と言っていて面白いなと思った。

というのは、現在の日本社会だと、女が社会的な成功を得たいと思った時、そこには様々な「なぜ?」が振りかかるからだという。なぜ東京に行かなきゃいけないの?女だからいいじゃない。なぜ専業主婦になるんじゃダメなの?女だからいいじゃない。なぜ転勤のないところに就職して子供が生まれたら時短勤務にするんじゃダメなの?あなたは女だから、メインで稼ぐのは旦那さんに任せたらいいじゃない。

一方男の人にとって、社会的な成功を得るのは、目指して当たり前だと思われていることが多い。男性が東大に行ってむちゃくちゃ年収の高い職を得たいと言ったところで、「なぜ?」を投げかけられる回数は、同じことを女性がしたいと言った時に比べて一般的には少ないだろう。

 

まあこの映画では、小晓は「都会に出て金持ちの男と結婚する〜」という、ステレオタイプな女の幸せを途中まで追い求めているのでこの例にはあんまり当てはまらないし、

今の社会だと、専業主夫になりたい男の人はキャリアを積みたい女の人よりも「なぜ?」と言われる機会は多いと思うんだけど、

自分が何が欲しいのか主体的に考える、という一見して個人の性質のように思えるものが、実は社会的な要素も大きいんじゃないか?

自分の社会的な属性に当てはめられたステレオタイプと違ったことをする人は、より自分が何が欲しいのか主体的に考える機会を与えられやすいのでは?

という気づきを得て面白かった。

(上で「一方見清はそれがわからない。もちろん考えてはいると思うけど、結局他人や社会からの評価が主体になっている。…これは思考力が弱いというわけではなく、社会の価値観を疑問視する機会がそれまであまりなかったからだと思う。」と書いたのは、これを考慮して書いた。)

 

以上!!!

台北のおすすめバー3選

こんにちは。上海でのインターンが終わって1週間、台北で遊んできました。

最初の3日間は九份行ったり博物館に行ったりしていたのですが、そのあと友達が合流してひたすらバーを巡っていました。

だいたい合計8軒か9軒のバーに行ったかな?その中で特に印象に残った素晴らしいバーが3つあったので紹介します。

 

Draft Land

上海でよく行っていたバーのバーテンダーの方に台湾のおすすめを聞いて教えてもらったとこ。

なんと「タップからカクテルが出てくる」バーです。ビールじゃなくて、カクテルなの。こんな感じ↓

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タップなので、カクテルはもともと作ってあって、決められたメニューの中から選んで注文するタイプのお店なのですが、

このカクテルがまじで美味しいんですよね。カクテルでタップで出すのって全然ありなのねwって思った。

メニューは全部オリジナルなので、飲んだことあるものばっかりでつまらない!なんてことは絶対ないです。むしろ店員さんと相談しながら何飲むのか決めるのがとても楽しい。試飲もさせてくれます。

 

あと内装がすごく素敵でした。Industrialっていう言葉がぴったりな、灰色のコンクリートの壁で薄暗い照明。上海で行ったALLというクラブになんか似てた。

でもかっこつけてるわけではなくて、外の席では地元の若者が集まって夜風に吹かれながら飲んでる。

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値段は一杯600円くらいのものが多いので、バーであることとカクテルの味を考えるとすごく安いと思います。台北に住んでたら絶対通うわ。

…とか言ってたら東京にもできるらしい!!!!!!!! 

 

R&D

2016年のAsia's Best Barsにランクインしたバー。超人気店でした。

お酒のクオリティはもちろん高いのですが、ここは特に接客が最高だった〜!

まじで全員フレンドリー。わたしと一緒にいた友達がここにハマって、3日連続😇行ったのですが毎回「Hey guys!!!」と迎えてくれてよかった。

 

バーテンダーとワイワイ話したい!みたいな人はここ気にいると思います。

ただ、週末はめっっちゃくちゃ忙しそうなので、平日に行くことをおすすめします。バーカウンターに座ってね。

 

新鮮なフルーツを使ったカクテルが売りらしいんですが、

わたしはパクチーのカクテルの印象が強すぎてあんまり覚えていないです

バーテンダーの方にパクチーのカクテルに激辛?のスパイスを10滴?垂らしたカクテルがあると聞いてノリで頼んだら普通に美味しかったけど、めっちゃパクチーだった)

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バーカウンター+ダイニングでダイニングが結構広いので、

わたしは広くて賑やかなバーはあまり好きじゃないのでアレッと思ったものの、ここはバーとダイニングの間が壁で区切られているので、気にならなかったです。

 

あとご飯もあって、美味しかった!バーカウンターに座るなら2〜3人が限度だけど、グループできてワイワイするのも楽しいと思います。

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Ginspiration

ジン・ジンベースのカクテルがメインのバーです。台北で行った中で一番オーセンティックだった。

美しすぎるな。

 

中は3階建? なのですが、一つ一つのフロアが狭いので落ち着いて飲めます。

ジンって聞くとアルコール度数も高いし、味も独特だしで敬遠する人も多いと思うし、まあ私もジンのロックとかはそんな好きじゃないのですが、

ここは素晴らしいバーテンダーがいるのでなんでも美味しかったです。ジンの味自体が好きじゃない人もすごく楽しめると思う。

 

ここも接客がとてもよくて、バーテンダーの方が色々話しかけてくれます。

あとなんか隣に彼女と座ってたお兄さんが超フレンドリーに話しかけてくれて楽しかった〜客層がR&Dよりも年齢高めなので、落ち着いて飲めるしお客さんも良い人が多そうやなと思った。

Draft LandもR&Dも違う良さがあるけれど、1人で飲むならGinspirationかな。

 

 

以上!台北のおすすめバー3選でした〜