ラーメンとミュージカル

好きなこと書く

英語で議論してるとき自分がバカになった気がする

サマースクールに来ていて、2ヶ月くらいボストンにいます。久しぶりに全ての授業が英語という環境になって、思ったことを書いていきたい。

 

まず今回のサマースクールで毎日思っているのは、「英語と日本語で思考力が全然違う」ということ。

政治の授業を取っているので毎回議論が盛んに行われるのですが、日本語での議論に比べて頭が回らないと思うことがすごくよくある。

 

バークレーでも同じことを思っていたんだけど、あの時は今に比べてリスニング力がめちゃ低かったので、議論についていけない理由として単純に私が周りの言っていることが聞き取れないというのが大きかった。

ただ、今回アメリカに戻ってみて(私は日本に帰ってから死ぬほどNetflixスタンダップコメディを観た結果、帰ってからの方がリスニング力が向上した)、周りの言っていることはわかるし言いたいことも言えるんだけど、

なんというか、日本語で議論している時の、頭がギュンギュン動いていろんなことが出てきてそれを統合して自分の意見として口に出す感覚がない。周りの言っていることはわかる分、純粋に思考力が落ちているというのがわかりやすい。頭の10分の1くらいしか動かせない感じ。あとはサマースクールに来る直前まで東大で日本語で議論していたり、こちらに来てからも東大の課題をちょくちょくやっているので、落差を感じやすいというのもあると思う。

 

東大やバークレーで出会ったバイリンガルの子たちの多くが、同じことを言っていた。私よりずっと両言語を流暢に使いこなす子であっても、日本語だと頭が回らなくて授業で意見を聞かれてもパッと答えられないとか、本がさっと読めないとか言っていたのを思い出す。

(これは単純に母語が何語とかではなくて、母語は日本語で小学校はアメリカ・中高は日本の学校で、英語の方が楽という子もいれば、ほぼ同じ環境で育ってきてるけど日本語の方が楽という子もいて、人によって全然違う!言語っておもしろ!と思った記憶がある。あとは日本語と英語で別に変わらんよという子ももちろんいる)

 

自分の経験で一つ面白いと思うのは、議論の内容によって英語と日本語での落差が違う気がすることだ。

今はPolitical CommunicationとPolitical Economy of Russia and Chinaという授業を取っていて、前者は理論の話が多めで、後者はロシアと中国の今を語るって感じでかなり具体的である。

前者の方が内容が抽象的だからか、英語で議論するのが難しいと感じる。考えてるうちに何考えてたかわからなくなる。この前ファイナルペーパーのアウトライン作成の考えがまとまらなくて、ふとメモを全部日本語に訳して考えてみたら20分でカタがついて笑った…

一方後者は、予備知識があるというのもあるが、実際に起きていることをデータに基づいて話すので頭の中のみでやらなきゃいけない作業が少なくて、日本語と英語での差は前者に比べて断然小さいと感じる。

だから外国語で哲学専攻してる人とかマジですごいと思うんだよな…尊敬…。

 

こんなことを考えていて、ふと「英語だと思考力落ちる現象について書いてある論文見たことあるな…?」と思って記憶を辿ったら、東大教授の高野陽太郎先生が研究されていた。

高野先生の研究の一つに日本人論批判があり、私は初ゼミ(懐かしい)で日本人論をテーマにした関係で高野先生のホームページをのぞいたことがあり、その時に「外国語副作用」というものについても高野先生が研究されていることを知ったのだった。

 

今回思い出してまたホームページを見てみた。

元の論文は英語だけど、研究の概要は先生のホームページに日本語で書いてあるし、現代ビジネスでも記事を書かれている。

英語を使うとき、あなたは頭が悪くなる〜「外国語副作用」という難題(高野 陽太郎) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)

 

「頭が悪くなる」っていう表現、ぴったりだな〜

母語ではない言語を使っている時は、母語を使っている時に比べて思考力が低下するのはマジだよというのが実験で示されていて、それを説明する理論も提示されているんだけど、この理論が私的にはめちゃめちゃ納得がいった。面白いので是非読んでみてください。

 

ただ、今回アメリカに来てみて一番驚きだったのは、英語だと議論でキレキレになれない自分を責めなくなったことかもしれない。

私はやりたい仕事的に将来英語が絶対必要になる&のにネイティヴじゃない というので、英語コンプレックスがずっとあって、バークレー留学中の最初のセメスターは英語がネイティヴ並みに話せない自分を責め続けるなど本当に不毛なことをしていたのですが、

musicallyrics.hatenablog.com

今回のサマースクールでは、英語だと思考力が落ちることを自覚し努力を誓いつつも、そこで自分の日本人性を攻撃したり、自分が過去に受けた教育を悔やんだりしなくなったのが割と自分的には驚きだった。

 

バークレーで大体の悩みは悩みきったのもあるし、後期教養に入ってから東大の日本語での授業がめっちゃ面白いのもあるし、私の学科は英語より中国語の方が話せますみたいな人が学生でも教授でも多いので日本語と英語の二元論で考えなくなったのもあるし、あとはバークレーの1学期目を思い出せば英語力は泣けるほど進歩しているというのもある。

 

何はともあれ、「英語だと思考力が落ちてくやしいから勉強は続けるけど、まあこの教室にいるアメリカ人誰も日本語で議論できないしむしろ私の悩みムッチャ高度じゃね」くらいのスタンスになれたのは私的には大きな進歩だ。

 

英語しんどい問題はずっと日本で教育を受けてきた人が大学とかで長期留学するとだいたいぶち当たると思います。

これから留学する友達や後輩に相談されることが増えてきたので書いておくけど、(留学中のブログにも書いたけど)努力と思考を続ければ語学力は絶対上がるし、コンプレックスを打開する道も見つかるから大丈夫です。

ただ、そこで鬱になったり自分のアイデンティティを否定し始めると努力も思考もできなくなるので、自分自身を定期的に救ってあげるのは忘れないようにした方がよい。

(私は今日、議論でうまく発言がまとまらなくて悲しくて全ての英語が嫌になりそうだったので、寮に帰って2時間中国語の映画を観て今は日本語で文章を書いています。これをやっても1ミリも英語力向上には繋がらないけど、自分の精神衛生は何よりも大事にすべきなのでいい)