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肌の黒いリトルマーメイドはミスキャストか?

「Miscast」というコンサートがある。これは「ブロードウェイのスターたちが"絶対にキャスティングされることがない"役の曲を歌う」というテーマでニューヨークで毎年やっていて、ほとんどのパフォーマンス動画が公式からYouTubeに上がっている。

コメディ調のものが多く、笑いながら観てきたのだが、最近久しぶりに観返して、新しい動画も観てみて、「これは思ってた以上に面白いコンサートなんじゃないか?」と思えてきた。ので自分の考えをまとめておきたい&意見ききたい。

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公式ホームページ(https://mcctheater.org/miscast/)より

ジェンダーが合わない役を「逆に」やる

ブロードウェイでは男性の設定なら外見と声が男性とみなされる俳優が演じるし、女性の設定なら外見と声が女性とみなされる俳優が演じる。なので、Miscastでは演者が「絶対にキャスティングされない役」、つまり演者自身とは異なるジェンダーの曲を歌うことが多い。*1*2

 

誰でも知ってる曲だと、例えばFrozenのLet It Goを、男性の演者が歌ってたり。

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性別ってそんな大事じゃなくない?

Miscastの良いところは、演者が真剣な点である。「絶対にキャスティングされない役」をやるので、なんとなく面白い感じになりがちなのだが、演者がその状況に対して「俺、男なのに女の役やってるよwww」みたいに冷笑的ではなく、あくまでも真剣にその役を演じている。

Let It Goは元々がジェンダーステレオタイプから外れようとしている女性の曲なので、男性が歌うことで出る面白さみたいなのはあまりないのだが、曲の歌詞が元々の役のジェンダーステレオタイプに合致している時でも、ミスキャストで異なるジェンダーの人がその曲を完璧に歌いこなすことがある。

 

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例えばこれは、「Dream Girls」で、Effieという女性キャラクターがメインで歌う曲だ。EffieをNobert Leo Butzという役者が演じ、他のキャラクターも男女を逆にして歌っている。

この曲でのEffieは典型的な「ヒステリックな女」。自分の失敗を指摘されると過剰反応し、周りに責任を押し付ける。それを周りにいる人たちが愛想をつかす、という曲である。

 

面白いのが、歌詞や感情の高ぶり方がザ・わがままな女という感じで設計されているはずなのに、これを男性のNobertが演じてもめちゃくちゃ自然ということである。独りよがりで視野が狭くて、自分のミスを指摘されると論理をねじまげて反論しようとするおじさん、いるよね〜!

 

つまり、「ヒステリック」という言葉はほとんどの場合女性にしか使われないけど、同じ行動は男性もしているというのがあぶり出されている。まあ冷静に考えて、性格がやばいやつは性別問わずいるよね。

 

他の例としては、Chicagoというミュージカルで、殺人を犯した女性の主人公二人を救う男性弁護士が歌う曲を、Kelli O'haraが歌ったパフォーマンスがある。

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「Chicago」自体はそれぞれの理由で殺人を犯した女性たちを、(どう考えても女側が悪いだろみたいな人も含めて)ユーモアを持って描いているという点では新しいのだが、ちょっとばかで感情的な女性を知的な男性が救う、という構造はまあはいはいよくありますねと思う部分もある。

だから、その男性弁護士の曲を、女性で、普段は古典的なミュージカル作品でヒロインを演じることが多いKelli O'haraが歌っていて、しかもセクシーでかっこいいのを観ると、「なんだ、女性でもいいんじゃん」と思った。

 

男性が主体的にステレオタイプが抜け出すショーもある。一番劇的なのはこれかな。

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West Side Story」は、ニューヨークのギャング団どうしの抗争と抗争のなか引き裂かれるマリアとトニーのロミジュリ的な恋愛を描いたミュージカルだが、その中でマリアの姉的存在・アニータが、トニーはやめとけとマリアに迫る曲がある。単純にやめとけや〜というノリではなく、この直前にアニータは抗争の混乱の中で自身の恋人をトニーに殺されており、鬼気迫る表情でマリアに訴える。が、マリアは反論するという場面。

 

この感情がほとばしる曲を、MiscastではLin Manuel MirandaとRaul Esparzaという男性の役者が演じている。West Side Storyはちょっと古いミュージカルということもあり、この曲の歌詞は結構「女性的」なのだが、歌詞も、名前すら変えず歌うので、男性の役者がかなり「女性っぽい」曲を歌っているのだが、クオリティがめっちゃ高い。

 

私は男性に対する抑圧に関しては当事者ではないので、自分が経験したわけではないが、よく言われる男性に対するジェンダー規範に、「感情を抑制することを求められる」があるとよく言われますね。「泣くな男だろ」みたいな。

ミュージカルは登場人物が自分の内面を独白する曲を歌いあげる場面が大きな見せ場になることが多いので、男性が感情をあらわにする場面は普通にあるが、それでも「男らしさ」から完全に抜けきれてるわけではないと思う。

 

そうしたステレオタイプに反して、「女性的な」歌詞を感情たっぷりに歌い上げる二人を観て、最初観客は笑っている。残念だなとは思うけど、Miscastはコメディ調のものが多いので、そういう前提で観始めたとしてもまあわかる。

しかし素晴らしいのが、役者の二人があまりに真剣に演じるので、だんだん観客も真剣になるところである。マリアもアニータも、男性でもアリじゃない?とりあえずこの二人がやるんだったらめっちゃ観たいわ。という気がだんだんしてくる。してきませんか?

 

異性愛である必要もなくない?

上のWest Side Storyでもう一つ注目したいのが、名前を原曲を変えていないという点である。つまりRaul(男性)は男性のトニーに恋しているわけ。Miscastは基本的に歌詞を変えないので、ラブソングを歌う場合は結構な確率で同性愛の曲になる。

 

例えばこれ。 

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「Last Five Years」は、JamieとCathyという男女カップルの出会いから破局までを描いたミュージカルである。JamieがCathyに会ったときに、「きみは運命の女神だ!」と歌う「Shiksa Goddess」という曲を、Caisie Levy(ブロードウェイ版アナ雪でエルサを演じた人)がJamieとして歌っている。

歌詞は完全にCathyに向けたものなので、女性のCaisieが歌うことでレズビアンの曲に解釈し直されており、私はこのパフォーマンスがすごく好きだ。Caisieの歌唱が素晴らしく、対等なカップルが目の前に浮かんでくる気がする。

(ただ、これも私は当事者ではないので、異性愛者の幻想かもしれません。そうだったら差し支えなければ教えてほしい…)

 

公式では出ていないので動画は載せないが、Last Five YearsでJamieがCathyにプロポーズするときに歌う「Next Ten Minutes」という曲があり、これを男性二人で歌った動画もYouTubeに上がっていた。二人の歌唱力と表現力が流れ出ていて、本当に美しいパフォーマンスだった。しかも素晴らしいのが、Jamieのパートを歌った俳優は、ブロードウェイ公演のJamieのオリジナルキャストなのだ。本家やんけ。

 

 

という感じで、Miscastって結構面白いなと思ったわけです。

ただ、一つ言っておきたいのはMiscastは別にジェンダー規範を揺るがすことを目的としているわけではないということ。単純に楽しいコンサートが、よく見てみたら面白かった、っていう感じなので、ジェンダーとか別に関係ねえな、っていうパフォーマンスもあります。

あと、やっぱり男性への抑圧と同性カップルに関しては非当事者が勝手に喜んでるだけということもあると思うので、おかしくね?と思ったら意見くれると嬉しいです。

 

黒人のリトルマーメイド

Miscastの面白さは、ジェンダー異性愛規範から逸脱するところの他にも、単純に「この役を、自分も演じられるんだ!」と思えるところにもある。私は声楽をやっていたので今でもミュージカル曲を歌うのが好きなのですが、男性の曲はキーも低いしなんとなく自分の曲じゃない感じがすることが多い。それをMiscastで女性の役者がキーを上げて、でも歌詞は変えずに歌うことで、「なんだ、これは私の曲じゃん」と思えることがかなりある。上で出した「Shiksa Goddess」なんかまさにそう。

 

これで思い出したのが、ちょっと前に話題になった、実写版リトルマーメイドでアリエルにHalle Baileyがキャスティングされた件である。歓迎する声と同時に「アリエルは黒人じゃない!」との声もたくさんあった。

私は「アニメが発売停止になるわけでも今まで出たグッズが出荷停止になるわけでもないんだから、『私のアリエルが否定された!』という理屈は通らなくね?」と思っている。アリエルが白人であるという設定はなく、かつ白人のアリエルが好きな人が白人のアリエルを楽しむためのコンテンツはもうこの世に溢れてるんだから、他の人種のアリエルを観たい人への選択肢が増えることを「私のアリエルが否定されたアアア」と非難するのはおかしくね?

 

これに加えて思うのが、Halleがアリエルを演じることが、アフリカ系の人々に与える影響力を、過小評価してない?ということである。

例えば日本人がアメリカのアジア人が多いわけでもない地域でシンデレラを演じられるかといったら、英語のネイティヴでも演技力が十分あっても難しい(ことが多い)。それは外国人だからではなく、アジア系だから。シンデレラは肌の白いお姫様で、黄色人種ではないから。

今年行ってきたサマースクールでルームメイトだったアメリカ人の女の子は高校演劇で、ブロンドで白人だから、というだけで、オーディションもせずに「Mean Girls」のReginaに配役されたと話していた。彼女は適当だよね〜とか笑っていたけど、私はもし自分が彼女の高校にいて、Reginaをやりたいと思っても、「アジア人だから」という理由で落とされるってこと…?と思ってがっかりした。というかまず応募しないかも。アジア人だから。でも、それって思考停止に加担してない?*3

 

これは日本で育ったアジア系とされる人はいまいちピンとこないかもしれない。

ハロウィンのときに、「アジア人だから」という理由で自分は白雪姫のコスチュームは着れない、と思う人はあまりいないのではないか。高校のミュージカル部で「シンデレラ」を上演するとして、自分は「アジア人だから」シンデレラは演じられないな、とは思わないでしょう。だって周りほとんどアジア人だし。

ただ、日本国内でも見た目がアジア系じゃない人は、上のようなことを考えたことがあるかもしれないし、日本国外でこういう思いをしている人はたくさんいる。

 

つまり、実写化映画で肌の黒いHalleがアリエルを演じるということは、「プリンセス=白人じゃないよ」「プリンセスになれるかどうか決めるのは人種じゃないよ」*4というメッセージを社会に与えるということだ。

プリンセスの王国の場所が白人しかいない場所に指定されていたり、プリンセスが実は植民地支配にめっちゃノリノリで奴隷をこきつかっていたみたいな設定なら別だが、そうでない限りプリンセスが白人だと決めつけるのは正当性はない。

個人が抱くイメージに正当性は必要ないけれど、その正当性のないイメージを社会にこれからも根付かせていこうと行動するのは私は嫌。私も思い入れのある作品がリメイクされて、キャスティングに納得がいかないことはこれからあると思うけど、きちんと全体像を見た上で意見を持ちたいと思いました。

*1:ちなみにジェンダー以外に、人種が違う役をやる場合はないのか?ということに関しては、人種に関しては(少なくともYouTubeに載っている動画を観る限り)なくはないけど少ないという感じ…。多分ジェンダーに比べ、人種によって曲調や歌詞の感じがガッツリ変わるということが少ないので、あまり選ばれないのではと予想します。

*2:性自認と生物学的性が一致するのが当たり前という前提で書きたくなかったので、見た目と声が男性、女性とみなされる、と書いたが(良い表現方法があったら教えてください)、トランスジェンダーのキャスティングについては色々な面でブロードウェイは進んでいないと思う。まずトランスジェンダーの役がKinky Bootsのようにジェンダーセクシャリティがテーマのミュージカル以外ではあまり見かけないし、トランスジェンダーの俳優をシスジェンダーの役に起用するということもあまりない…気がする。全演目の全キャストを追っている訳ではないので間違っているかもしれない。でも「Trans performers are finally making it to Broadway」という記事が去年出ていること自体が、トランスジェンダーがブロードウェイで排除されていることを示していると思います。

*3:厳密にいうと、Regina Gerogeのような学園を支配しているクソ意地悪な美女がいるとしたら、現状では白人であることが多いと思う。なぜなら黒人やアジア人の美しさに比べて、白人の美しさは他の人種の人にも認められやすいからである。ただ、配役を現状に沿わせることで現状を肯定していいのかどうかは別の話であり、少なくとも「白人でブロンドだからReginaね」と口にして実行するのは差別だと思う

*4:人種ではなく顔です。みたいなね。レイシズムが緩和するとルッキズムが見えてくる、って面白いですね