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離人感について

小さい時から、自分自身を違うところから見ているような感覚が常にある。この世界とは違うところに意識があって、その意識がこの世界で生活している自分を見ている感じである。小さい時は「自分の人生を絵本で見てるみたい」と思った記憶がある。

この感覚は人類共通ではないことに気づいたのは結構最近で、数年前だったように思う。ふとこの感覚について何人かの友達に話してみたら、いやそんなこと思ったことないわ、と言われることが多かった。感覚としては理解できる人がいても(例えば飲み会とかでふと「これはなんなんだろう…」と思うことがあるとか)、それがずっと続いている人には会ったことがない。というか飲み会とかで「これはなんなんだろう…」と思う感覚も私のとはまた違う気がする。

それでこの感覚は何だろうと思ってネットで検索しても、ほとんど情報が出てこなかった。

これだけ情報が溢れた時代にも納得のいく説明がいかないような、この感覚を持っているのは我ながら結構おもしろいと思う。なので「この感覚」がどのようなものなのか書いてみる。

離人症と似ているが、違う

今まで生きていて、「自分自身を違うところから見ているような感覚」というのはあまりにも普通にずっと存在していたので、具体的にどういうことか説明するのは結構難しい。なので、検索で見つけた似ている事例を引っ張ってきて、ここは同じここは違うと言うことで説明してみたい。

自分を遠くから見ている、というと、まず検索で引っかかったのは離人症だった。

離人症とは、自分が自分の心や体から離れていったり、また自分が自身の観察者になるような状態を感じること。その被験者は自分が変化し、世界があいまいになり、現実感を喪失し、その意味合いを失ったと感じる。慢性的な離人症離人感・現実感消失障害 (DPD)とされ、これはDSM-5では解離性障害に分類される(DSM-IV離人症性障害)。

ある程度の離人症や現実感喪失は、一時的な不安やストレスなどによって誰にでも起こり得るものである。慢性的な離人症は、重度の精神的外傷、長期持続したストレス・不安などに関係している。

(引用:離人症 - Wikipedia

 「自分が自身の観察者になるような状態を感じる」という説明は自分にも当てはまっている。しかし、どのサイトを見ても、離人症はストレスと結び付けられて説明されている。離人症と診断された人の症例やブログを見ると、うつ病強迫性障害などの治療を受けている方が発症することが多いと書いてあったり、「世界が色褪せて見える、見ているものに生命感を感じられない」という症状が語られたりしている。

これが私には当てはまらない。私は小さい頃から離人感があるが、虐待を受けた記憶はない。というか精神的に参るくらい強いストレスを人生で受けたのは大学入学後1年間で、この間離人感は普段と変わらず正常に作用していた。というか、むしろ辛い時ほど辛いという感情にしか目がいかないので、離人感がなくなる気すらする。離人感を理由に世界が色褪せて見えることはない。

あとWikipediaでは「自分が自身の観察者になるような状態になる→現実感を喪失する」みたいな感じで書かれているけど、これは物心ついた時からずっと離人感がある人には当てはまらないなと思った。私はそもそもずっと自分が自身の観察者で、その状態が現実なのだ。だから世界が意味合いを失ったとも思わない。世界の意味合いを考える自分を見ている自分がいるだけである。

 

離人症は、症状の説明の30%くらいは自分にも当てはまるけど、そもそも強いストレスが原因の症状なので、ストレスとは関係なく常に離人感を感じる私の状況とは異なるなと思った。

離人感にも色々ある

その次に出会ったのがこの記事だった。

www.e-aidem.com

この記事は離人感を精神疾患として説明していない点では、私の感覚と似ているし、この記事を見つけて、「あ、似たような人がいた」と思って嬉しかった。ただ、違う点も結構ある。というか「2つの穴から外を見てる様な感覚」、つまりどこか違うところから自分を眺めている感覚以外は全部違う。具体的には、

  • 「ここにいることを不思議がらない自分をしきりに不思議がる」→この感覚は私にはない。筆者は「離人症における問いは『何故これまで、このことが気にならなかったのか?』という形で起こる」と書いているが、私は記憶がある限りずっと離人感があるので、「ここにいることを不思議がらない(=離人感がない)自分」がなかった時代がない
  • 「言葉の世界から脱落したとき、人は離人症の入口に立つのです。」→私は言葉の世界から脱落したことはない気がする。人間の認知自体が言葉でかなり定義されていることは理解しているが、これは知識を得た結果そう考えるだけであって、自分で文字から意味が分離して消えたと体感したことはない
  • 「肉体があることへの違和感」→特にない
  • 「(家族に対して)この人たちは誰なのだろう」→ここが一番の大きな違いかなと思った。私の場合、離人感が他人に向かうことがない。これは自分でも変だなと思うし説明が難しいのだが、「この世界で生きている私」自身のことはどこか違うところから眺めている自分がいるんだけど、この世界観は他人には適用されないと思っている。「この世界で生きている私」にはそれを眺めている私がおり、それによって「この世界で生きている私」は相対化されているけれど、他人に関しては彼らの存在を相対化するような存在がいるとは限らないと思っているというか…。もしかしたらいるかもしれないけど、それは私が決めることじゃないという感じ。なので、例えば他人の発言に対して、「他の世界があるのになあ、この世界は絶対じゃないのになあ」とは思わない。この世界が絶対じゃないのは私(とそういう感覚がある人)だけで、他人には関係しないと思っているからだ。

 

まとめると、私は、ただひたすら、もう一人の自分が、この世界で生きている自分を見ている感覚がある。だからといってこの世界は偽物だから生きる意味がないとか変える意味がないとかは思わない(というか私はフェミニストとして毎日社会にキレている)。ただ、そういう自分を見ている自分がいるというだけだ。

ただこの感覚がずーっと同じ濃さで続いているかと言われるとそういう訳ではなくて、怒っている時、悲しんでる時、喜んでる時など、感情が大きく動く時には忘れている。逆に「自分を見ている自分」を強く感じるのは感情が平坦な時や考え事をしている時、例えば散歩中とか。

この感覚が私の人生に何か悪影響を及ぼしたと思うことはないが、「この世の真理」を追求する系の思想を勉強しようと思っても「いや、この世界、絶対じゃねえし…」と思っていつも途中で放り出してしまう…と書いていて思ったが、これは上で書いた「離人感は他人に影響しない」というのに矛盾しているなあ。まあこれは感覚であり、筋の通ったものではない。

 

なぜ自分を見ている自分がいるのかは未だにわからないし、精神疾患でもない離人感の研究なんて進まないだろうから多分一生わからないと思うけど、今のところ私はこの感覚は脳のバグだと思っている。

数年前にネットで脳の手術を受けた人の記事を読んだことがある。その方は小さい時から鬱の症状があり、手術自体は鬱とは関係ない脳の疾患のためのものだったが、手術で脳の特定の部位を切除したところ、鬱の症状までなくなったとおっしゃっていた。(それだけ覚えていて記事の他の内容やなんでその記事を読んだのかを覚えておらず、記事は見つけられなかった)

それまで私はこの離人感は私の生育過程で生み出す何かがあったんじゃないかとか今の自分の人生観が生み出したものじゃないかとかぼんやり考えていたのだが、この記事を読んでなんとなく、この感覚は単に脳のどこかがバグって作り出した感覚じゃないかと思うようになったのだ。まあ私の場合特に困ってないからバグというのかもわからないんだけど。

あと、精神疾患としての離人症には「強いストレスを受ける→離人感を抱く」という因果関係があるが、ストレスに対する反応の可能性は無限にある中で、人間には離人感が反応として出るということは、離人感は人間にとってそもそも人間が抱きやすい感覚なのでは?とも思った。人間の脳にはそういうスイッチが存在していて、私はもともと押された状態で生まれてきて、人によっては何年か経ってから押されたり、ストレスによって押される人もいるんだろうか。わからない。

もう一つの可能性としては、本当にこの世界以外に別の世界が存在していて、私は実はそこの世界の記憶を継承している選ばれし者で、今は普通の人間だけどいつか力が目覚めてこの世界を救うことになるとか。というのはさすがに冗談だが、何かのきっかけでスイッチが切られない限り一生この感覚と付き合っていくことになるだろう。だから他の世界の記憶を継承した選ばれし者みたいな、映画のような楽しい空想をして、楽しく付き合っていきたい。陰謀論にハマらないよう注意が必要だが。