ラーメンとミュージカル

好きなこと書く

ビヨンセとフェミニズム、香港映画、オリエンタリズムなど

色々と思ったことが溜まりつつ、どれもブログ一本書くほどの分量はないので、いくつかのテーマをまとめることにしました。

ビヨンセフェミニズム

ビヨンセが好きだ。なんであんな踊りながら最後まで完璧に歌えるの?振り付けもすべてが自信に満ちていて、QUEENという呼び名がここまでしっくりくるアーティストを私は他に知らない。

ビヨンセのパフォーマンスを観てると一瞬で時が過ぎるので、いつもジムで走りながら彼女のライブ動画を観ている。ぶち上がったテンションを走りに発散できるし、体力もつくし最高である。最近はジムに行けないのでビヨンセのコーチェラのライブアルバムを聴きながら走っている。

 

私が彼女について一番好きなところは、自らの政治的メッセージを前面に押し出すところだ。彼女のフェミニスト宣言は有名だが、パフォーマンスの中でも自分が黒人女性であることを何度も言及し、表現する。彼女のセクシーなパフォーマンスは差別主義者はもちろん、一部のフェミニストからも批判されてきたが、「Don't feminists like sex?」と言ってやりたいことを通すことで、むしろフェミニズムにも影響を与えているのがかっこいい。

ビヨンセは脱ぎすぎだからフェミニストじゃないみたいな批判ももう10年くらい前の話なので古い話のような気もするんだけど)ビヨンセのパフォーマンスと性的搾取の違いは、そこにビヨンセの主体性があるかという話である。

We teach girls to shrink themselves, to make themselves smaller
We say to girls: "You can have ambition, but not too much
You should aim to be successful, but not too successful
Otherwise, you will threaten the man 

というChimamanda Ngozi Adichie(「We Should All Be Feminists.」と言ったことで有名な作家)のスピーチを会場に響き渡らせる人が、家父長制に取り込まれて服を脱いでいるように見えるだろうか。

現在のビヨンセはセクシーな衣装を着る一方で、誰が望んでその服を着るのか(自分だ)、誰が権力を握っているのか(ビヨンセだ)という点を提示することに非常に自覚的だと思う。*1

 

また彼女は歌詞やパフォーマンスで怒りを堂々と表現する。コーチェラでのライブパフォーマンスで、「We've had enough!」「Suck on my b***s!」となんども叫ぶ姿を見て完全に「「「共鳴」」」したし、ほんまにまじでフェミニストは言い方に気をつけるべきとか言う輩は黙れよカスと思った。

 

前にシャッフルで音楽を聴いていたら、ジェームズブラウンのThis is a man's worldが流れてきてモヤっとしたことがある。

You see man made the cars
To take us over the road
Man made the train
To carry the heavy load
Man made the electric light
To take us out of the dark
Man made the boat for the water
Like Noah made the ark

 

This is a man's world
This is a man's world
But it wouldn't be nothing
Nothing without a woman or a girl

ジェームズブラウンはThis is a man's worldとなんども歌い上げた後に「But it wouldn't be nothing / Nothing without a woman or a girl」と続けるのだが、これは彼なりに女性を上げているつもりっぽい。

私はジェームズブラウンの曲が基本的に好きなので一生懸命好意的に解釈しようとしたのだが、やっぱりそもそも女性は付属品ではないので女性の「有無」で男性の価値が決まることはないし、なんだかんだ言って男性の現在の権力を手放すつもりがないので何が女性は大事やねんという結論になった。

 

一方、ビヨンセのRun The Worldを見てほしい。

www.youtube.com

もうそもそもRUN THE WORLDなわけだから、今の権力構造をぶち壊す気満々である。途中で「Boy, I'm just playing, come here baby / Hope you still like me...」と媚びる一文が現れたと思えば、次の瞬間

FU pay me

と中指を立てる。(これ態度が急変しすぎて何回聞いても笑ってしまう)

 

色々なフェミニスト像があるけれど、私が憧れるのはビヨンセのようなフェミニストだ。努力を突き詰めて戦って怒って、他人が戦って怒らなくても正当な扱いを受けられるように道を拓きたい。駆け上った後も、自分の前に戦ってくれた先輩たちへの感謝と賞賛を常に忘れないようにしたい。

 

と言いつつ人間を神格化するのはよくないのでもっと考えたいなと思ってこの本を読んでいたのだが、ビヨンセの黒人性に注目し、intersectionalityの観点からビヨンセのパフォーマンスやフェミニストからの批判を分析する論考が多く面白かった。

またビヨンセ新自由主義的とする意見もあるが、どうだろう。私はパフォーマンスを観ていてビヨンセのメッセージが恵まれた女性のみに向けられていると思ったことはないけど、私は色々な意味で恵まれているので見えてない部分もあると思う。今はそこらへんの論考を読んでいます。

香港映画

春休み本当に暇で、edXで香港大学が出している香港映画の授業動画をなんと最後まで観た。(オンライン授業最後まで行けたの初めてw)同時にいくつか香港映画を観たんだけど、そのうち特に心に残ったもの。

An Autumn's Tale(秋天的童話) 

誰かがあなたを愛してる(字幕版)

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  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

授業で紹介されていて、面白そうだなと思って観たもの。日本では公開当時そこまで話題にならなかったぽいんだけど、Huluにあった!

実際観ると思った以上に主人公のジェニファーに自分の経験が重なって見えて、授業での分析を放り投げてこれは私の物語じゃねえか!!!と感動しました。

香港から演劇の勉強のためにニューヨークへやってきたジェニファーは、やくざな生活を送る遠縁の青年サミュエルのボロアパートで暮らすことになる。ジェニファーには、先にニューヨークに来ている恋人がいたが、彼にはすでに新しい恋人ができていた。失意のジェニファーを慰めるサミュエル。2人の間にはほのかな恋心が芽生えるが……。

Wikipedia

ジェニファーはニューヨークに来るまで外国に住んだことはなかったと思われる。この初めての外国居住を、友達もおらず1人で開拓しなきゃいけない感じが、自分がバークレーに留学したときと重なって見えたのだ。

 

バークレーに着いて留学生活を始めた時、今までの人間関係や財産が一旦リセットされて、0からやり直しになる感覚があった(実際は0になるわけではないのだが)。

友達作らなきゃ積極的に話しかけなきゃ授業がわからない予習が多すぎる英語ができなくて悲しい

みたいに一気になだれ込んでくる感情と思考が多すぎて、頭の一部分をストップさせて全てに向き合うのをやめないと生きていけない感じだったのをこの映画を観ていて久しぶりに思い出した。 

香港からニューヨークに向かう飛行機やニューヨークの空港での、ジェニファーの不安を必死で見ないようにしているような緊張しきった顔や、学校でなんとなく気圧されて、中華街のご飯屋で1人でうっすい卵サンドを食べている描写が、あの頃の自分を見ているみたいだ。

 

そんな所にシュンタウがたまたま現れ、ジェニファーの分まで勝手に大量のご飯を頼む。ジェニファーが相談があると言って本棚を買いたいと言うと、そんなものは作ればいいと言ってご飯の後すぐジェニファーの部屋に来て本棚を作る。

何もかもが新しい状況で自分の感情を直視できないくらい不安な時に、シュンタウみたいにその地域に馴染んでいて、兄的存在で自分を気にかけてくれる(しかも故郷の言葉で話せる)人はね、やばいんだよな。観ながら、「いや、これは…恋に落ちるわ!!!」って叫んだ。

 

しかしジェニファーは時間が経つと大学に馴染んで、友達もできていく。印象的なのがシュンタウの誕生日パーティーのシーンで、シュンタウはジェニファーの友達に馴染めず、しかもジェニファーの元カレが登場してジェニファーと仲良くしてるところを見てパーティーを抜け出す流れだ。

 

私とジェニファーが異なるのが、私は大学の寮にいたから周りの人間も同じような教育資本を持っていたのだが、ジェニファーが住んでいる中華街は必ずしもそうではないという点だ。

ここら辺が香港大学の授業で解説されていたのだが、ジェニファーは大学に行くだけの教育資本があるので英語やアメリカ的教養、人脈を身につけることができるから、アメリカン・ドリームを駆け上がることができる。一方で、シュンタウには教育資本が少ないために(彼は英語はほとんど話せないという設定)アメリカ社会になじむことが難しく、ジェニファーと環境の差が徐々に広がっていく。

ジェニファーがシュンタウから距離を置こうとはしていないところが救いだが、ハッピーエンドのはずのラストシーンも、裏にある格差を考えると本当にハッピーエンドなのかわからなくなる。

 

あと本筋とはあんま関係ないが、ジェニファーの元彼がモラハラクソ野郎で、振られた時ジェニファーは完全にモラハラの餌食になっているのだが、終わりの方のシーンでジェニファーは元彼を静かに拒絶する。留学生活を通したジェニファーの成長を感じた(笑) 私も素敵だと思っていた人に対して留学後そう大した人間じゃなかったなと思ったことは割とあったのでわかりみが深かった。

花様年華

花様年華 (字幕版)

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前のブログに書いたが『恋する惑星』が刺さりまくったので、王家衛監督の映画をだいたい全部観た。その中で特に好きだったのがこれ。

舞台は1962年の香港。ジャーナリストのチャウ(トニー・レオン)は妻と共にあるアパートに引っ越してくる。同じ日、隣の部屋にはチャン夫妻が引っ越して来ていた。チャウの妻とチャン夫人(マギー・チャン)の夫は仕事のせいであまり家におらず、二人はそれぞれの部屋に一人でいることが多い。そして実はお互いの妻と夫が浮気していることを察し始め、そのうちに二人は次第に親密になっていく。

 (Wikipedia

授業でも王家衛監督作品が取り上げられていたのが、彼の作品の特徴の一つとして「Unlikely couple」が挙げられていて(日本語だと非現実的なカップル?)、面白いなと思った。

なぜなら私は彼らはぜんぜんunlikelyじゃないと思ったからだ。

 

確かにどのカップルも映画でよくある設定からは外れている。『恋する惑星』は失恋したばかりの青年が麻薬の運び屋の女をナンパする話だし、『ブエノスアイレス』ではやり直すための旅行といってアルゼンチンまで行った香港人カップルが金が尽きて土地勘もないブエノスアイレスに居住せざるを得なくなりそこでもくっついたり別れたりするし、『花様年華』の2人もそもそもお互いの夫・妻が不倫していることがわかってからの関係だ。

 

でもなんとなく、その辺に転がってる話のような気もする。みんな言う相手を選んでるだけで、麻薬の運び屋をナンパしたとか、自分は経験ないかもしれないけど友達の友達くらいまで広げれば1人くらいヒットしそうじゃない?

 

むしろ、「unlikely couple」と称される彼らの方が、「likely couple」として想定されるようなカップルより私はリアルに感じられる。

個人的に、人に好きになったときのきらめきとか、いい感じになるときの空気感とか、一つ一つの点は共感できるんだけど、その点と点が「likely couple」として示されるような、「出会っていい感じになって付き合ってちょっと喧嘩したり別れたりしつつ結婚する」という線に矯正されて提示されると途端にわからなくなる(だから私はラブコメを観ないし人の真面目な恋愛相談もあまり聞けない)。

王家衛映画は恋愛を描くにしても、線より点に焦点を当てている感じがする。

 

さらにいうと線で繋げないということは人生をわかりやすく整理せず、かつ選択の可能性を良い意味でも悪い意味でも狭めないということだから、結果的に彼らの行動がunlikelyと評価されるのかも。彼らの本質が「unlikely couple」なのではなく、彼らの行動が意図的に整理されないことで、unlikelyに映っているのではと思った。

Crazy Rich Asians

Crazy Rich AsiansをNetflixでもう一回観た。最初に観たときはおお〜英語の映画でみんなアジア人は新鮮〜ヘンリーゴールディングまじかっこい〜私の好きなスタンダップコメディアンが出てる〜っていう感じだったのだが、

musicallyrics.hatenablog.com

2回目観てみるとまた色々と違う感想を持った。

 

初めに言っておくと、私は基本的にこの映画が好きだし、ハリウッドのアジア表象において重要な役割を果たしていると思っている。

アジア系アメリカ人のハリウッド映画における表象の貧困さはそこまで映画に詳しくなくてもわかるし、Crazy Rich Asiansの成功はその後アジア系を主人公にするドラマ・映画が増えたことに続いていると思うので、非常に大きな第一歩だと思う。

 

しかし、北村紗衣先生が著書『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』で権利を奪われた人の声を具体化するような革新性を持っていると思える映画にもいろいろ保守的なところはある、ある程度古典的な要素があるからこそ受け容れられやすい」ご本人による要約の引用

ということをおっしゃっているが、この映画も同じことが言えるのではないか。

 

この映画の筋はざっくり言うと、家族重視のアジアと個人重視の欧米の価値観の間で、中国系アメリカ人が揺れる話である。

私はこの「家族・伝統重視のアジア VS 個人重視の欧米」という対立関係に疑問がある。

 

アジアに生まれ育ったアジア人がこの映画を観た時、エレノアが主張する「アジアは家族ファースト」に、どれだけ共感するだろうか。

ていうかこれは普通にみんなに聞きたいんだけど、Crazy Rich Asians観たアジアで育った人、これは私の文化だ!って思いましたか?私はまったく思いませんでした。より詳しく言えば、昼ドラみたいだなw由緒あり経済力が死ぬほどある家ではあるのかな?と思ったけど、身近な話ではない。

 

まあこれはまずシンガポールの中華コミュニティ、かつ大富豪の話なので、日本で育ち大富豪でもない私に必ずしも当てはまらないだろう。

しかし裏返せばそれは、アジアで個人よりも家族を重視する家族・一族がいるとしても、それはその家族や一族の経済基盤や出自など様々な社会的要素によって規定されるものであって「アジア人だから」ではないということだ。

何を当たり前のことを太字で書いてるんだろうと思うが、この映画では、経済力の違いよりもアジアVSアメリカの対比が強調され、ヤング一族の家族重視はアジアの「本質」でかつ「不変」の特徴として提示される。

 

レイチェルが雀荘でエレノアと対決するシーンのエレノアのセリフがそれをはっきりと示している。*2

Rachel: You didn't like me the second I got here. Why is that?

Eleanor: There is a Hokkien phrase, kaki lang. It means our own kind of people, and you're not our own kind.

Rachel: Because I'm not rich? Because I didn't go to a British boarding school or wasn't born into a wealthy family?

Eleanor: (Shakes her head) You're a foreigner. American - and all Americans think about is their own happiness.

家族重視はこの映画だけの話ではなく、スタンダップコメディや他の映画などでもアジアの特徴として繰り返し語られているため、欧米とアジアの文化を比較する人々の認識に深く根付いている構造なのではないか。

欧米を基準として他文化を見る際に、その他文化を過度に抽象化し、不変のものとして扱う。ああこれはオリエンタリズムだなあと思った。

一方には、現在のせいを営む人々の集団があり、他方では、それらの人々が、研究対象として、「エジプト人」「イスラム教徒」「東洋人」となる。(略)前者は常に多様性を増大しようとする傾向をもつが、この多様性はつねに下向き・後ろ向きに抑制され、圧縮されて、根源的な一般性の極点へと向かわせられる。(P. 81)

 

これまで私が議論してきたのは、「オリエント」それ自体が一箇の構成された実態であるということ、そして、ある地理的空間に固有の宗教・文化・民族的本質にもとづいて定義しうるような、土着の、根本的に他と「異なった」住民が住む地理的空間というものが存在するという考え方が、やはりきわめて議論の余地のある観念であるということであった。(P. 273-274)

 

引用:E. W. Said (1978). Orientalism. Pantheon Books. (E.W.サイード 今沢紀子(訳)(1993).オリエンタリズム(下) 平凡社

オリエンタリズムは偏見を再生産するだけでなく、必ず欧米のアジアに対する優越を肯定する。この映画が結局レイチェル(欧米)のエレノア(アジア)に対する勝利で終わったように。

 

私はオリエンタリズムは白人だけのものではなく、抵抗しなければほとんどの人が染まっており、抵抗しても何かしらの影響を受けていると思っている。 アジア系アメリカ人も、アジアで育った人間も、例外ではない。アジア系アメリカ人が作ったAll Asian Cast!の映画でも、オリエンタリズムに無自覚である限りその構造に抗うことができず、また抗わなかったからこそ欧米で大ヒットしたのかなと思った。

*1:現在の、とつけたのはビヨンセもキャリアを通じて今のようにフェミニストであることを強調してきたわけではない(らしい)からだ。私はその時のビヨンセをリアルタイムでは知らないし勉強も足りないのでそこには言及しません…このブログで書いたのはフェミニスト宣言後のビヨンセについてです

*2:ただ、これは映画では強調されているが、原作ではそうでもなかったきがする。原作は本当に最初だけ読んで飽きたwwので正確なことは言えないのだが、原作ではエレノアや周りの人たちがレイチェルを元々台湾系富豪一家出身でアメリカ育ちの女性だと勘違いして認めるムードだったのだが、実は大陸からアメリカに移民したシングルマザーの娘と知って大騒ぎになるシーンがあったのを覚えている。映画でもちろっとセリフは残されているが、原作ではもっと強調されていてMainland?!?!みたいな感じだった。台湾の富豪ならokだが大陸の農民はマジでありえん、みたいな対比が印象的だった。